規則正しい、心臓の音。それは重なり、響き。
いくつもの想いを、そこに融け込ませる。
lives
学生時代から変わらない、それは、二人で過ごすひと時。
大きくはないテーブルには、載りきらなくてはみ出しそうな、たくさんの料理の皿。こんなに食べきれるかな、と顔を見合わせて笑ったのは、ほんのしばらく時間を遡った話。
「あの、ね、綾人さん」
ヒトミは綾人の胸にもたれ、幾分仰ぎ見た。
綾人が侵されていた明日の見えない病に治療法が見つかったことを告げられてから、初めて迎える、この日。
治療は未だ道半ばで、完治には至っていなかったけれど。一喜一憂しながら歩む日々は、少しずつでも前に向かっている。そう信じることができる。
「ん、何?」
確実に腕の中に捕えるようにヒトミを抱き込んで、綾人は至近距離にある恋人の瞳を覗き込んだ。
「ずっと、言いたかったことがあるの」
微笑みと共に、ヒトミは言の葉を紡ぐ。思いをたぐり寄せるように。
「ずっとずっと思っていたこと。いつも、思っていること」
「……うん」
ゆっくりと話すヒトミを急かさずに、綾人はすべらかな頬に軽い口づけを落とした。くすぐったげに伏せる瞼にも、耳元にも。触れては離すだけの、優しいキス。
「あなたが――綾人さんが、生まれてきてくれてよかった」
かつては幼さが勝っていた声は、しっとりと落ち着いた大人の女性のもので。それは重ねた月日と、それが無為なものではなかったことの証。
「あなたがこの世界に生まれて、そして出逢うことができて、本当によかった」
降るような声音が、ひそやかに空間をひたしてゆく。
「綾人さんにとっては、苦しくて悔しくて悲しいばかりの道だったかもしれないけど。それでも……私は感謝します。あなたという、命と……巡り逢えたことを」
綾人の鼓動を聞き取ろうとするように、ヒトミは頭を寄せた。
「それから、綾人さんが生まれてくれた――出逢うことのできる始まりを作ってくれたこの日にも」
ヒトミは綾人の背に腕を伸ばした。痩躯といっていい細身の身体は、それでも腕を回しきるには精一杯なほどしっかりしていて。
波間に漂う木切れほどでも、旅人が自らの行く先を心に決めた上で分かれ道で倒す小枝ほどでも。そんな、ほんの些細な寄る辺であっても、彼の助けに、彼の支えになれていたのならいい。
刻まれる命に寄り添う存在でいられたのなら。
それだけで、きっと自分は誰よりも幸せな人間なのだと、ヒトミは思う。
「誕生日、おめでとう……綾人さん」
言葉はもはや音ではなく、直接伝える吐息とぬくもりの内に融けた。
綾人は静かに、しかし力強く、腕の中の恋人を抱き締めた。
「ありがとう……。僕こそ、君に逢えてよかった。もう何度も言ったけど、これからも何度だって言い続ける。どれだけ繰り返したって全然足りない。……君がいて、よかった」
次第に重なり合う心音を感じながら、綾人は囁く。
「僕という存在に、空虚な生に意味を与えてくれた、君が」
これ以上力を入れれば壊してしまいそうな華奢な肩は、しかし背負わせてしまったどんな重荷にも負けることなく、限界を訴えることなく、今もここにある。そう、片時も離れることなく。
それがどれほど大きな幸福を運んでくるものであるのか、決して他の誰にも完全には理解できまい。互いだけが知る、溢れそうなこの想いは。
「僕は、生まれても……よかったんだね」
泣きたいほどに嬉しくて、幸福で。愛しさが駆け巡る。そこにいるだけで、感じるだけで。
「僕と……出逢ってくれて、本当にありがとう――」
その先は、もう形を成す声にはならなかった。
触れ合い、伝え合う、想い。重ね合う心。
一つの命が生まれたこの日に、赦されてそこに在ることに――感謝と祝福を。